勝ち組負け組

競争社会とゼロサム社会

「勝ち組」「負け組み」という言葉が使われるようになって久しい。勝ち組は負け組を搾取していい思いをする。我々のとれる選択肢は2つである。勝ち組になるか、負け組であきらめるかである。簡単に言えば「競争社会」だということだ。

特記すべきなのは、こういうことを言う若い世代が増えてきているということだ。今のニートと一昔前のヒッピーやおたくとはここが根本的に違う。ヒッピーやおたくは競争社会を否定した。「この世の中は競争社会なんかじゃない」と主張した。しかしニートは競争社会を肯定する。「この世は競争社会じゃない」とは思っていない。競争社会だということを認めていて、負け組で仕方がないとあきらめている。

おたくは「負け組でもいいんだ」と言うかもしれないが、その本意は「お前が俺のことを負け組だと呼ぶのなら勝手に呼べばいい」ということだ。おたくは自分が負け組だとはちっとも思っていない。むしろ負け組なのは勝ち負けなんぞにこだわっている相手の方だと思っている。つまり、おたくは自分の基準で自分は勝ち組だと思っている。アニメをたくさん見た人間が勝ち組だと思っている。これは、「負け組でいいんだ」という言葉とは本当は正反対と言っていいくらい違う。


おたくの論理に基づくなら、人はみな程度の差はあれ勝ち組である。自分のしたい事ができればみな勝ち組だ。アニメをたくさん見たいと思うなら、とにかくアニメをたくさん見られれば勝ち組だ。たとえ彼女がいなくても、クリスマスもバレンタインも何の関係もなくても、いつも貧乏でも、とにかくテレビとビデオさえあれば勝ち組なのだ。

もちろん、時には自分が嫌だと思うことだってやらなくてはならないこともある。しかしそれは自分がやりたい事をやるためだと思えば苦にはならない。仕事はあくまで手段であって目的ではない。仕事と趣味がマッチするならそれは理想だが。

勝ち組をこう定義すれば、「勝ち組」という言葉は無意味だ。すべての人は自分独自の基準に従って「勝ち負け」を決めるのだから、自分以外の人を勝手にその物差しにのっけるわけにはいかない。自分の物差しを使って「あいつは俺ほどアニメを見ていないから負け組だ」と思っているが、相手にそう言うことはない。なぜなら、相手には相手の物差しがあって、相手は自分のことを負け組だと思っているからだ。それはお互い様だから、別に反発したり批判したりすることはない。

では勝ち負けが決められるとしたら誰とだろうか。それは、全く同じ物差しを持っている自分に対してだけである。過去の自分に対して現在の自分が自分の基準で「勝ち」ならば、現在の自分は過去の自分に対して勝ったと言える。そして、結局のところ勝ったと言えるのはそれしかないのだ。

おたくの論理は、別に勝ち負けを否定しているわけではない。他人と勝ち負けを競うことを否定しているだけだ。自分と勝ち負けを競えばいい。自分に勝つことこそ真の勝利である。他人なんかは実はどうでもいいのだ。

こう考えれば、お互いの利害は直接対立しない。自分も勝って相手も勝つことができる。例えば「アニメをたくさん見れば勝ち」だと思っているアニメおたくと「DVDの売上を上げれば勝ち」だと思っているビジネスマンは手を組んで両方とも勝つことができる。これが、勝ち組になる一番楽な方法だ。自分と違う価値観の人を探し、その人を(悪い言葉で言えば)利用する。そして相手もまた自分を利用する。お互いに利用し合うのだから、戦い合うようりずっと簡単に目標を達成できる。人に利用されてこそ勝ち組だ。


最近、おたく、いや、人々全体に「誇り」がなくなってきたように思う。自分は勝ち組だという誇り、もっと言えば前の自分より良くなったという誇りである。人を評価に入れず、自分しか見ない。人の評価は参考にはするが、最終的には自己評価だけを考える。もし自分で自分の悪いところに気がついたら、そういうことに気がついただけ自分は勝ち組だと思う。そしてそれを直せば自分はもっと勝ち組になれる。

「負け組でもよい」という考えは激しく自己矛盾だ。負け組は良くない。しかし、勝ち負けを判定するのは自分だ。そして判定の対象となるのは今の自分と過去の自分だ。だったら、勝ち組になることはそんなに難しいことではない。だからこそ「勝ち組になれ」と言う。誰だって勝ち組になれるのだ。

同じ基準で人と勝ち負けを競うと、それはどうしても奪い合いになる。勝つ人と負ける人が出てくる。これでは人を蹴り落とさない限り勝ち組にはなれない。しかし、相手もまた自分を蹴り落としてくることを考えれば、これは不毛な泥仕合になってしまう。

他人の決めた勝ち負けの定義をそのまま鵜呑みにしている限り、決して勝ち組にはなれない。真の勝ち組とは、勝ち負けを自分で定義できる人のことだ。そして、自分で勝ち負けを定義できる人は、他の人と協力することで新たな価値を産み出すことができる。