説得

「○○すべき」だけでは何も変わらない

Web上でよく非難や批判のコメントを見かける。そのほとんどは「お前の考え方は間違っている」「こうあるべきだ」で終わっている。そして「その意見は取り下げろ」とか「書き手の良心を疑う」などと書かれて終わっている。

「書き手の良心を疑う」と言われると思わず「はあ、そうですか」と返したくなる。もちろんあなたが疑うのは勝手ですし、あなたに良心を疑われたところで私は何とも思いませんけどね。と、こんな風に思うわけだ。

こういった非難や批判が間抜けなのは、ただ自分の言いたいことを言っているだけだからである。いや、目的がなく言いたいことを言っているだけなのは別にいい(ここもそうだ)。目的があるのに自分の言いたいことを言っているだけなのが悪いのだ。

目的があるのなら、自分の行動がはたしてその目的を果たすのに良い方法なのかどうかを考えなくてはならない。目的がないのなら、自分の行動がどのような結果になろうと文句を言ってはいけない。


相手の言うことに論理的に反論して、相手の間違いを証明して「お前の意見は取り下げろ」と言う人をよく見かける。そして相手がそれでも取り下げないと「なんで取り下げないのだ。お前の意見は完膚なきまでに叩きのめされたのだ。お前の意見は誰がどう見ても間違いだ」と言う。それでも相手は取り下げない。こんな状況に陥っている所を見かけると、どうなればこの論争が終わるのだろうかとつい考えてしまう。

いくら相手の間違いを証明しても無駄なのだ。取り下げるという行為は相手の一存でしかできない。相手が「負けた」と言わない限り相手を負かすことはできない。逆に言えば、「負けた」と言わない限り負けたことにはならないのだ。だったらなぜわざわざ自分から「負けた」と言わなければならないのだろう。結局、相手が負けようと思わない限り勝つことはできない。

相手に何かしてもらいたいのであれば、その行為を実行することで相手に利益が生じるようでなくてはならない。あるいは実行しないことで不利益が生じるかである。自分の意見がどれだけ正しいかではなく、自分の意見を受け入れることが相手にとって得になるんだということを主張しなくてはならない。得を説く、つまり説得である。

自分の意見を相手に受け入れてもらおうと思うなら、セールスマンにならなくてはならない。相手はお客様である。証券や保険の勧誘員だってお客に向かって自分勝手な説明を並べたてるところは同じだ。ただ、お客が勧誘を断ってもお客のせいではなく自分の説明が悪いせい(あるいは自分が売ろうとしている商品が悪いせい)だと考える。お客が断ると突然態度を変えて罵倒し出すのは(確かによくあるケースだが)いかにもみっともない。

もちろん売り手にも自由があるので、別にお客様に頭を下げて自分の意見を売り込まなくてはならないというわけではない。「俺は客を選ぶ。俺の気に入った奴にしか売ってやらん」という殿様商売でもいい。ただその代わり、「お前の商品なんかこっちから願い下げだ」と言う人に文句を言ってはいけない。双方の望みがかなう、ベストな結果に落ち着いたということである。


結論を言うと、目的があり手段がある、そしてそれですべてだということだ。自分が何をしたいのか、なぜこんなことをしているのか、そしてそれを実現するにはどうすればいいか、この3つを考えない行動では目的は達成しない。無駄なことをやり続けて自分に都合のいい何かが起きると思っているから、はたから見ててなんだかなぁと思うのである。

相手に何かをさせたいと思うなら、相手にそうしたいと思わせることだ。これは相手の身になって考えないと成功しない。


念のため追記しておく。普通の人なら「真実を知る」というのは十分に得だから、「お前の考え方は間違っている」と言えば「なるほど。教えてくれてありがとう」で済む。普通でない人もいるんだということを忘れているのが良くないのである。