日本人の宗教嫌い

日本人の多くが宗教を敵視するのは、すでに宗教人だからである。

日本ではとかく宗教の人気がない。宗教は「はまる」「ひっかかる」と形容され、悪徳商法なんかと同一視される。宗教を「やっている」と言うだけで白い目で見られる。

日本人の宗教嫌いの理由ははっきりしている。ここで言う「宗教」は「カルト宗教」とイコールだからだ。カルト宗教を擁護する気はまったくない。ただ、カルト宗教ではない宗教もいくつもあるのに、と思うわけである。

またいつものように結論から先に述べる。「無宗教」「宗教嫌い」と称する日本人のほとんどは、宗教の教えは自分にはとうてい受け入れられないバカげたものだと思っている。それは間違いだ。まともな宗教は変なことは言っていない。きちんと学べば、いい事を言っていると思うはずだ。

また、文化やものの考え方というのは宗教の影響を強く受けている。日本の場合には仏教や神道や儒教やその他もろもろのものである。日本人のものの考え方の多くはこれらの宗教に由来するものであり、宗教嫌いの人の頭の中にも既に深く根付いている。その人がそれを宗教だと知らないだけの話である。


宗教嫌いな人を見つけたら、こう言ってみよう。

この世の中に「唯一絶対なる存在(神)」が存在するだって?そんなのあるわけない。

「人生かくあるべし」とか「精神のレベルを上げる」とか、下らねえ。腹が減ったら食べる。眠かったら寝る。それでいいじゃん。

この世に正義とか悪とか、そんなものねえんだよ。

秘法とか修行と称してなんだかわけのわからん事をして何になるというんだ?あいつらバカだね。神秘体験なんてヤクでラリってるのと同じだ。

もし上の考え方に対して、「うんうん、その通りだ」と言う日本人がいたら、その人は無宗教ではない。立派な仏教徒である。彼らは自分を無宗教だと思っているが、それは「宗教に入る」というアクションをしていないからそう思っているだけで、実際にはじわじわと仏教に染まっていたのだ。特に「唯一絶対のものはない」が仏教の根本理念である。あとのことはそこから導き出されるものだ。だから、これを信じていれば仏教徒だと言っていいだろう。

あるいはこんな話はどうだろう。

宗教バカは規則とか戒律を絶対視して、どんなことがあっても守ろうとするからダメなんだ。世の中に合わせて柔軟にやらなくてはいけないのに。

宗教ってテロとか起こすし、違う宗教同士で戦争ばかり起こすし、ロクなもんじゃない。宗教が政治にまで深く入り込んでいるからいかんのだよな。

宗教をやっている奴らは自分たちが絶対に正しいと信じ込んでいて、俺たちが何を言っても「サタンの言うことには聞く耳を持たない。地獄に落ちろ」と言う。地獄に落ちるのはそっちの方だ。

休みになるとどこかの老人ホームや福祉施設なんかに行って、ボランティアをして、「いいことをした」と優越感に浸っている。そこまでは勝手にすればいいけど、それを俺たちに自慢するな!はっきり言って偽善者だね。

このような発言をしたのは他でもない、イエスである。

宗教を批判する人のほとんどは的外れである。彼らは宗教を知らない。せいぜいカルト宗教が言っている表面的な教義を知っているだけだ(カルト宗教には表面的な教義しかないわけだが)。そして、宗教=カルト宗教という枠から外れることができない。

実を言うと、仏教もキリスト教もそれ以前の宗教に対する批判の上に成り立っている。だからこそ宗教批判は見ていておかしいのである。カルト宗教を批判してすべての宗教を批判したつもりになって喜んでいるが、その行為そのものが本来の宗教なのである。釈迦もイエスも、宗教儀式や宗教論争の無意味さを説いて回った。今日本で通用している「宗教」という言葉の意味で考えれば、釈迦もイエスも宗教者ではなく宗教批判者なのである。


日本人の多くが宗教を知らないのは、日本では誰も宗教を教えてくれないからだ。家でも教えてもらえないし、学校でも教えてもらえない。教えてくれるのはいかれたカルト宗教だけだ。日本ではまともな宗教よりカルト宗教に当たる確率の方がずっと多いのだから、どれがカルト宗教でどれがまともな宗教だけ区別できるようになるまでは、宗教はできる限り避けた方がよい。これは残念ながら真実だ。そして避け続けたまんま、宗教を知らずに生きていくことになってしまう。

宗教的な知識を、一般人はおろか宗教人でさえ知らない。どこかの葬式(仏教)で、「(故人は)草葉の陰からいつまでも私たちを見守っていることでしょう」なんて言っていた。おいおい、そんなところで見守ってないで早く成仏してくれよ。仏教で「いつまでも」なんて言うはずがない。宗教の芯にある深い哲学を理解していないせいである。

本当は学校でしっかり宗教を教えるべきだ。社会の倫理の時間でちょろっとやるだけではなく。あんな時間で複雑な概念を教えられるわけはないし、実のところ教える側もわかっていないのだ。もし学校で特定の宗教を教えるわけにはいかないというのなら、全部の宗教を教えろ。それで文句はなかろう。


宗教をむやみに怖がったり批判したりする前に、まずまっとうな宗教に触れてほしい。どこかの誰かがタダでくれるような冊子にはロクなことが書いてないから捨ててしまえ。古本屋で安売りしているような、けばけばしい表紙の本もよくない。名の通った出版社のなんとか学術文庫のちゃんとした本、地味でつまらなさそうな本を読んでほしい。これはある意味偏見に満ちた意見ではあるが、ここまでニセモノが氾濫している中で本物をつかむには仕方がないことだ。

現代まで生き残ったまっとうな宗教はそれなりにいい事を言っている。だから宗教の言うことに耳を傾けてほしい。少なくとも、何を言っているのか知らないままで否定してほしくはない。


追記

仏教的な考え方をするからといって、仏教徒とは限らないじゃないかなんて言う人が結構いるので、補足する。我々日本人は、仏教徒である親や先生などからこういう考え方を学んだ。だから仏教徒なのである。俺の親や先生は仏教徒じゃなかったと言うかもしれないが、彼らは仏教徒であるその親や先生から考え方を学んだのだから、やっぱり仏教徒なのである。

我々は、仏教が当たり前だった時代のいろんな考え方を、伝統という名前で取り入れている。日本にいる以上、「日本の伝統なんか知らない。自分で独自に考えた」なんて言っても信じてもらえない。そうやってものを考えられるようになる前から、繰り返し聞かされてきたはずのことだからである。