住民基本台帳

住民基本台帳は政治の問題ではない。技術的な問題だ。

今回はあちこちで討論されている「住民基本台帳」の話をしよう。私の思考回路をよくご存知の方なら、私が賛成派か反対派かはすぐ分かるだろう。賛成派だ。(私は訳も分からずただヒステリックにお上のやることに反対する連中は大嫌いなのである)

もちろん、現行制度でいいかどうか、時期がいいかどうかはまだ議論の余地があると思う。しかし、「今の案では良くない」「まだ時期尚早だ」という話はおいといて、「感情的に反対」という意見があまりにも(一部)多いのではないだろうか。

この案の反対意見として一番話になっていないのが、「国民総背番号制につながるから反対」というものである。なぜ国民すべてに背番号がついていてはいけないんだ?その理由を聞くと、たいてい「国家主義につながる」「管理社会をもたらす」とか、はたまた「オーウェルの『1984年』の世界が現実になる」といった理由が出てくる。お前ら、オーウェルの「1984年」を本当に読んだことがあるのか?


コンピュータのソフトウェアに携わる者なら、システムが扱うオブジェクト一つ一つに番号(ID)をつけることなど常識中の常識である。国民のデータをコンピュータで扱おうとするなら、国民一人一人に「背番号」を与えないといけないのだ。その是非を問う以前に、もう既にこういったデータはコンピュータで管理されているし、それぞれの個人に背番号もコンピュータ内部でちゃんと与えられている。運転免許証番号しかり、国民年金の番号しかり。つまり「国民総背番号制につながるから反対」という意見はナンセンスなのである。なぜならすでに背番号はついてしまっているのだから。

だから言うとしたら「国民総背番号制」ではなく「国民背番号統一制」なのである。今はそれぞれのコンピュータでばらばらな背番号の付け方を統一しよう、と。これはシステムの側から言うと非常にメリットのある話である。そもそも一般企業では統一しないなんてシステムは間違いなく作らない。バグの元だしすぐシステムトラブルを引き起こすからだ。統一しないで強引に進むとみずほ銀行のような大規模なシステムトラブルが必ず起きる。背番号を統一せずにシステムを作ろうとすれば必ずあれの二の舞になるのだ。

コンピュータシステムにとって、国民すべてに統一した番号がついていないのは「異常事態」であり「設計ミス」であり「今すぐ直さなければならない事項」である事をまずわかってもらいたい。


プライバシーの問題を挙げる人もいる。「クラッカーが侵入して、情報が盗み出されて悪用されたらどうするんだ」と。

残念ながら、もう、プライバシーなんてものがある時代ではないのだ。今や年齢や居住地のデータなど手に入れようと思えば簡単に手に入る。しばしば「○○のサイトで個人情報が○万人流出」と新聞の三面記事に載る。プライバシーなんてもうだだ漏れ状態だし、それは住基ネットなんてあってもなくても変わりゃしないのだ。考え方が10年古い。

コンピュータセキュリティの見地からすれば、システムに弱い部分が一ヶ所でもあったらいくら他の場所のセキュリティが強化されていても無駄なのだ。そして今の状態は個々の企業が個人情報を収集している。当然ぽっかりと穴の開いた無防備なサイトも一つ二つではない。こうした問題を解決する一つの(そして有用な)手段は「弱い部分が一ヶ所もない頑丈なシステムを一つ完成させ、すべての情報をそこだけで管理する」ことである。

要するに、「クラッカーによる攻撃から個人情報を守ろうとするなら、逆に国が個人情報を一元的に管理すべきである」ということだ。住基ネットがあればいろんな依頼書に住所氏名を長々と書かなくても13桁の番号を書けばすむ。この方が住所氏名の情報が漏れ出す危険は少なくて済むのだ。

例えば、通販を利用する時には相手に自分の住所氏名電話番号を知らせなければならない。相手も業務上それを保管していなくてはならない。そして封筒に住所氏名を印字して送付するのだ。このようにあちこちに自分の個人情報がさらされる。

それがもし国民一人一人に番号がついていたらどうだろう?そして、封筒に住所氏名を書かなくてもその番号だけを書けば郵便局が住基ネットで調べて届けてくれるとしたら?そうすれば、通販会社に自分の住所氏名という個人情報をさらさなくてもすむわけだ。つまり、住基ネットというのはプライバシーを保護することにつながるのだ。


しかし、この件についてお役所も悪い事がある。とんでもなく悪い事だ。なぜならメリットについて「書類の交付が簡単になる」とか「居住地の市役所でなくても書類の交付ができる」とかいった、目に見える話しかしないからだ。そしてそれがあまりにもチンケな事項だから、「そんなちっぽけな事のためにこんな法案を通すのか」と反対派が怒り狂うわけだ。

本当はこう言わなくてはならないのだ。「国民に背番号がついていると、役所の仕事が非常にやりやすくなります。そのため役所の人員削減ができ、そのため支出が減って財政も好転します。ひいては国民の税負担を軽くするためなのです。」と。

残念ながら、今は住基ネット構築による支出の話しかない。これはおかしい。住基ネットが構築されたら、それによって仕事が楽になる分だけ公務員を減らさなくてはならないのだ。しかし役所は自分たちの権益を守るため、そして人員を確保するため、こんな事は言わない。これが間違っているのだ。


「住基ネットから離脱したい」「自分を住基ネットに登録させたくない」なんていう人もいる。そんなワガママな、と筆者は思うが、まあ自由にさせてあげればいいと思う。ただ住基ネットから離脱するならそれなりのデメリットを与えるべきだ。住民票の取得に1回3万円かかるとか、パスポートの更新に3ヶ月かかるとか。ワガママな人にも今まで通りのサービスを提供するのでは大多数の真面目な人がバカを見る。

繰り返す。決して「今まで通りのサービス」を提供してはならない。なぜなら、住基ネットで仕事が自動化される分、窓口の人数を減らすからだ。今のサービスは皆が窓口を使うことを前提に設定されている。だから数百円でできるのだ。

銀行もATMによる振込みより窓口の振込みの方が高い。これは窓口の方がコストがかかっているのだから当然のことだ。住基ネットを導入して大半の仕事を自動化せよ。そして窓口には原則として人がいないようにせよ。市役所の端末からはコードを入力するだけで住民票を即発行できるようにして、それが嫌だというワガママな人は窓口で何時間も待たせろ。これをすべてやらないと不公平である。


コンピュータをよく知る者にとってみれば、住民基本台帳ネットワークは「当たり前の事」であり、逆にこれなしでまともなコンピュータシステムを作り上げる事など不可能だ。それに「国民総背番号制」という言葉をあてはめてまるで悪い事であるかのように言いふらすのは、まさに詭弁であり感情的な誘導である。あるいは無知がなせる技か。

この話は、間違った情報や勝手な思い込みによって技術的なことにとやかく口を出す困ったクライアントを思い起こす。「てめえ、何も知らないくせに口を出すな」と言いたいのをぐっとこらえて口先だけのごまかし方を考えるというのはSEなら誰しも経験があるだろう。

そして、本当のSEならクライアントの言うことなんて半分無視してやっぱり筋を通して技術的に正しい事をやるものだ。そういう気概がない普通のSEがダメクライアントに当たると、SEは我関せずを決め込んで結局はみずほ銀行のようになる。

片方で「役所の仕事を一般企業なみに効率化せよ」と言っておきながら片方で効率化の最有力候補である住基ネットに反対なんて言う奴は、自分の言っていることが支離滅裂であることをよく反省するべきだ。自分達のシステムに自分で壊滅的な打撃を与えるダメクライアントにはならないようにしようではないか。