逆ギレの正体

掲示板の「荒れ」とは何か

今回は掲示板の「荒れ」の問題について考えようと思う。この問題は「荒れる発言はやめましょう」で済むほど簡単ではない。そもそも「荒れ」とは何だろうか。

一般に、「荒れ」とは「掲示板が良くない状態になること」であると定義される。しかしこれは同語反復だ。こう定義すると、「荒れる発言はやめましょう」というのは「悪い事はやめましょう」と言っていることである。これは当たり前であり、しかも全く意味がない。何が悪い事なのかを言わないと意味がない。「他人の迷惑になる発言はやめましょう」と書いてあることもある。これも「何が迷惑か」が書いていないから、上と同じように同語反復だ。「迷惑」イコール「悪い事」であり、言葉の定義上やめた方がいい事である。これも当たり前だ。

ここまでは以前書いたコラムと同じなのだが、ここではもう一方進めて「なぜこんな事を言うのだろう」と考えてみたい。


昔、こんな事があった。とあるゲーセンで私がプレイの順番待ちをしていると、プレイ中の人が連コイン(次の人に順番を譲らず、もう1プレイ続けてゲームをすること)をしようとした。相手がまだコインを入れる前に、私は「すみません。待っているのですが」と声をかけた。すると「待っていると言ってくれればすぐ代わったのに」と文句を言いながら(不機嫌な口調だったので、私は「文句」であると受け取った)代わってくれた。

しばらくたっておや?と思った。私は「待っている」と言ったのである。そして相手はすぐ代わってくれた。それでめでたしめでたしで終わった出来事だ。とすると、「待っていると言ってくれればすぐ代わったのに」という言い方は変だ。実際その通りになったのだから。この言い方だと、私の「すみません。待っているのですが」が「待っている」と言っているのではないような言い方だ。

おそらく相手は私の発言を非難だと受け取ったのだろう。しかし何を非難されたと思い、なぜ文句を言ったのだろうか。私がそこで非難をするとしたら理由は一つしかない。「連コインをしたこと」である。そしてそうやって非難されると彼は不満に思うことが一つある。彼は連コインをしてやろうと思ってやったわけではなく、知らなかっただけなのだ。それが私の出現によって「連コイン野郎」になってしまった。ここで今度は加害者と被害者の立場が入れ替わる。彼は「自分に非がないのに人に非難された」被害者になり、私は「非のない人を非難した」加害者になってしまう。だから彼は文句を言ったのである。

この構図が世に言う「逆ギレ」の正体である。逆ギレした本人は決して理性を失って怒っているのではない。相手のちょっとした注意や忠告に対して深く傷つき、それに対して怒っているのである。「なにもそんなちょっとした事でそこまで言うことはないじゃないか」と怒っているのだ。「注意したらナイフで刺された」という場合、その人は注意される事をナイフで刺されるのと同じくらいひどい事だと感じている。そんな無茶なと思うだろうか?私は人の言葉をそれだけ重く受け取る人もいるということは想像できる。


これはそっくりそのまま掲示板の「荒れ」にもあてはまる。Aさんの書き込みに対してBさんが「その書き込みは問題発言だ」と言った時、Aさんは深く傷つく。なぜなら自分のなにげない発言が勝手に問題発言にされてしまったからだ。そしてその原因である、Bさんの「問題発言だ」という発言の方がずっと問題だと感じる。そして「勝手に加害者にされた被害」を訴えるわけである。Bさんにしてみれば、Aさんには「俺が悪かった」か「いや、俺は悪くない。悪いのはお前の方だ」のどちらかの答えを期待していることだろう。しかし「自分は悪いかもしれないがお前の方がもっと悪い」という答えが返ってくるものだから「なんじゃそりゃ! 逆ギレか!?」と思う。ここが「荒れ」の出発点である。

多くの場合、掲示板での逆ギレは過剰反応として現れる。ちょっと注意されると「もうこの掲示板では発言しません」とか「サイトをすべて閉鎖します」と言われてしまう。すると今度は注意した方が悪いという風潮になってしまう。まるで女の子をちょっとからかったら泣かれてしまった悪ガキのようだ。注意した本人が非難するのでなく、その周りの人まで一緒になって非難するのが特徴だ。ここで、元の発言の是非はもう忘れられてしまって、今度は泣かせたことの是非だけが問われてしまう。

そしてまたまた「逆ギレ」の再生産が始まる。自分はちょっと注意しただけなのにサイト閉鎖までしなくてもいいじゃないか。相手はちょっと注意しただけの自分を勝手に「サイト閉鎖に追いやった極悪者」に仕立て上げたのだ。これが暴力でなくて何であろう。この憤りを同じように相手にぶつける。既に注意された本人はその場にいない。この場合、相手は自分を非難した周りの人だ。

こうにして掲示板の「荒れ」はどんどん広がっていく。それは加害者が被害者になり、また加害者になるという「逆ギレ」の連鎖である。


「荒れる発言はやめましょう」というのは、荒れを減らすどころか、逆に荒れを誘発する。なぜなら、「荒れる発言はやめましょう」という主張は、荒れる発言をする事自体が悪いことだと言っているからである。「ちょっとからかう」事の是非は問わずに、「何を言ったのであろうと泣かせた方が悪い」という結論を正しいとするからだ。これでは泣いた者勝ちだ。だからほんの少しのことでも大げさに泣く。そして泣かれた方も対抗してもっと大げさに泣く。そして「荒れ」はかえってひどくなる。

荒れる発言をしない事は不可能だ。なにげない一言が人によっては問題発言ととられてしまう事もあるからだ。そしていったんそれが起こってしまうと、なにげない一言を言った人は犯罪者扱いされてしまう。発言者は「なんでこんな事で自分が犯罪者扱いされるんだ?」と困惑する。しかし納得のいく説明を求めるとさらに犯罪者扱いされる。だから、発言者はもう去る以外に方法はない。そして中心人物が去ってしまい、その掲示板は急速にさびれていく。

さびれ果てた掲示板で、残った人はつぶやく。「荒らしのおかげでここはめちゃめちゃになってしまった」と。本当はめちゃめちゃにしたのは「荒らし」のせいではない。それを非難し、逆ギレの連鎖を始めてしまった住人達なのだ。誰かがちょっとつついて壊してしまった事を非難する前に、ちょっとつついただけで壊れてしまう事自体を反省すべきだ。


逆に「荒れなんてない」と考えてみてはどうだろうか。掲示板には何を書いてもいいし、それをどう受け取ってもいい。「誹謗中傷はしてはいけない」ではなく、「誹謗中傷はしてもいいけど、そんな事をしても嫌われるだけだからもったいないよ」と言えばいい。こう考えれば、「してはいけない発言」というのはなくなる。それらは「すると損する発言」や「しても無視される発言」や「格好悪い発言」になる。そしてそれらは間の悪いギャグや矛盾のある説明と同列に並ぶわけである。攻撃の対象は発言そのものであって、発言した人ではない。だからその攻撃を自分に対してのものとは受け取らず、単に発言を直せばいいだけだ。

「荒れ」を誘発するのは「攻撃をした方が一方的に悪い」という風潮である。これは間違いだ。もちろん「攻撃はされた方が一方的に悪い」というわけでもない。これはケースバイケースであり、一方的ではなくどちらもそれなりに悪いこともある。

「荒れ」の被害がどんどん広がっていくのは、量を考えに入れずに攻撃された事実だけをカウントするからだ。そして足されるだけで引くことをしないからだ。被害の量を計算し、そこから自分が与えた加害分を引くことにしよう。そうすれば被害はだんだん小さくなり、ついにはゼロになる。