悪と対決すること

悪と対決しないような会社は信用しない。

今回は時事ネタである。丸紅ダイレクトの価格設定間違え事故の話である。通販サイトで198,000円のPCを間違って19,800円と登録してしまい、そこに注文が殺到した。それに対して結局19,800円で売ることになった、という話である。

私が問題とするのは、「会社の信用を重んじ、19,800円で売ることにした」というコメントである。これで少なくとも私はその会社を信用しないことにした。対策が裏目に出たわけである。それはなぜかという話をこれからする。


価格誤記事件は別に目新しいものではない。たまに起きている出来事であり、普通は「錯誤に基づく契約無効」となる。これは法律的にも認められている事である。事実、事件が発覚した翌日には注文した客に「この価格は間違いなので訂正します」というメールを送っている。

しかし相手が悪かった。相手は2ちゃんねらだったのだ。彼らはPCを買いたくて注文したのではない。普通にPCを買おうとした人ならこんな事は言うはずはない。誰でもおかしい値段だとわかるからである。始めから一悶着起こすつもりでいたのだ。だから「そんなのは認めない。お前が19,800円と言ったんだからその値段で売れ。これは会社の信用にかかわる問題だ」と言った。そして丸紅は相手の言いなりになったのである。

丸紅はきっと相手が善良な市民であると勘違いしたのだろう。そういう意味では認識不足である。相手は一般的社会常識からするとずるい人達である。相手の事を何とも思っていないばかりか、相手を(時には不当に)利用して利益を上げようと思っている人達だった。そういう人達に持っている当然の権利を使って立ち向かわず、逆に面倒を起こさないために服従する道を選んだ。

これはいわば総会屋への利益供与だ。会社の信用うんぬんではなく、面倒を起こさないために金を渡したのだ。「圧力を受けたからではなく、会社の信用を重んじた結果だ」と言っているが、少なくとも面倒を起こさない事が会社の信用を保つと思っている。いったい誰に向けての「会社の信用」なんだ。誰にでも信用される会社というのはすなわち悪人にも信用される会社だ。そんな会社を私は信用しない。


結局、丸紅は間違いを素直に認めて謝罪するか、それとも強引に間違っていなかったことにするかという二択で後者を選んだ。丸紅は自分の間違いを認めることのできない会社だ。そして、相手のミスにつけ入るずるい人に対して毅然とした対応を取れない会社だ。

丸紅は結局、自分の信じる「会社の信用」とやらに2億7000万円を支払った。そして得たものは、「こいつはカモだ」という詐欺師の信用と、「この会社は悪人も善人と同じように優遇する会社だ」というイメージと、そしてまた「丸紅は2億7000万円なんてはした金だと思っている」(というとプラスイメージに聞こえるが、それだけ利益追求に甘いということである)というイメージである。非常に高くついた買物だ。

この話は他人事ではない。教訓は二つ。

  • 間違う事によって失った信用は、間違いを素直に認めることで取り戻せ。
  • 万人に気に入られる事は不可能だ。善人には気に入られ、悪人からは憎まれるようでなくてはならない。