政治家を選ぶ基準

優秀な人に一票を投じてはいけない。

この前の選挙が民主党の大勝に終わって、日本の政治がいろいろと変わりつつある。そして、それに政治家だけでなく、国民もとまどっているように見える。たしかに、社会党がなくなり、イデオロギーという対立軸がなくなってから、政治とは何なのということかがわかりにくくなった。

今の政治談議を見ていると、どうも政治への参加意識が欠けているように思える。「お前も立候補しろ」と言っているわけではない。「自分たちの代表を国政に送り出す」という意識に欠けているということだ。


たまに、「こいつは政治家のくせに頭が悪い」と言う人がいる。そういう人はたぶん、政治家とは何かということがわかっていない。政治家は、頭が悪いのが当たり前だ。もしかして、頭のいい人に一票を投じているのか?もしそうだとしたら、考えを改めたほうがいい。

頭のいい人に一票を投じたらどうなるか。きっとそいつは、頭のいい人の論理に従って、頭のいい人のための政治をする。その結果、頭のいい人にとって都合の良い社会ができる。東大卒だけが天下りで大儲けできるような仕組みを作ったり、低賃金で苦しむ人を「お前らはバカだからしょうがない」と放置したりする。

だから、自分があまり頭がよくないなら、頭のいい人に一票を投じてはいけないのだ。自分と同じくらいのレベルの人間に一票を投じなくてはならない。それが、「自分たちの代表」ということだ。


バカを政治家に選んだら、まともな政策を実行できないんじゃないか?と考えるかもしれない。しかし、そこは優秀な官僚がいるから大丈夫である。

自分の家のテレビを買いに行くことを考えてみてほしい。サッカー中継を見たいから、迫力のある大画面のテレビがほしい。そう思って電器屋へ行くと、いろんなテレビが並んでいる。その中から、自分の予算に応じて、ちょうどいいテレビを選ぶ。

「サッカー中継が見たい」というのが、政党の理念である。そしてそのために予算を組んで、官僚のところへ行く。そうすると、「今大画面テレビというとこのくらいのものがこの値段で手に入りますよ」と教えてくれる。政治家がするのは、どのテレビ(政策)にするかを決めることだ。だから、電器屋でテレビを買うことができる程度の知能があればいい。テレビの回路設計や組み立てまでできる必要はない。

もちろん、安いからといって地デジに対応していないテレビを買ってしまったり、逆に電器屋の言うことを全部聞いてそこにある一番高いテレビを買ってしまうようなバカでは困る。底抜けのバカだと困るが、普通の人程度だったら問題ないというあたりか。

いざテレビを買おうと思うと、電器屋のチラシとカタログを見比べて、時にはカタログに書いてある様々な機能が何を意味しているのかを調べなくてはならない。能力的には問題なくても、時間的には結構大変だ。だからそれを特定の人にやってもらう。あくまで、「自分にはできないことを人にやってもらう」のではなく、「自分にもできるけど時間がないので人にやってもらう」というスタンスでなくてはならない。そして、それ以上のことを政治家に求めてはならない。


どうも、この「理念で選ぶ」という原則が忘れ去られて、「政治を一番うまくできる人」を選ぼうとしてしまっているように思う。各政党のマニフェストを見比べて、「一番うまいマニフェストが書けた政党」を選んでしまった人が多いのではないか。もっとも、マニフェストなど見てもいない人のほうが多いのだろうが。

政治家の方も、自分が優秀で、相手は無能だということをアピールする。お互いにそうやって叩き合いの喧嘩をしているところを、有権者は本当はどっちが正しいのかと考える。これは、政治家の選び方として間違っている。

政治に「正しさ」は存在しない。あるのは、自分はどっちがいいかだけだ。大画面テレビでサッカーが見たいのか、ニュースしか見ないから小さいテレビでいいのか、あるいは夜中にひっそりエロDVDを見たいのか。自分はどうしたいのか、そして自分と同じことをしたいと思っているのは誰なのか。それだけだ。

結局、選挙のときに政党がマニフェストで掲げたことを、当選してから実行できたとかできなかったとか、そんな話が出ること自体おかしい。マニフェストは政党の理念を語るもの、つまり「俺はサッカーが好きだ」と宣言するものだ。そして、「サッカー好き集まれ」という掛け声で集まったのが政党なのだ。だから、マニフェストは実行できたりできなかったりするようなものではないし、マニフェストはいわば政党の定義なのだから、簡単に変わったりするものでもない。

もちろん、「サッカーなんかのどこがいいんだ。野蛮なバカ騒ぎにしか見えん」とか「スポーツ観戦の楽しさを知らんとは、つまらん人生だな」とか、相手の批判をするのはアリだ。しかし、いくら批判をしようと、客観的な答えが出るものではないということは理解せよ。結局、自分はどちらが「好き」かを、感覚で選ぶことしかできないのだ。


以前は、政党がターゲットとする人がもっと露骨に「地方の農家のみなさん」とか「労働者諸君」とか「町工場のおやっさん」というように決まっていた。最近は、どの政党も、「国民のみなさん」と呼びかける。受け取るほうも、自分が何者なのかということを深く考えず、すべての政党が自分のことを考えてくれていると思ってしまう。

最近はあまり大っぴらにしないが、どの政党にも主要なターゲットがいて、その人が得をするように動いている。たとえば、大企業の経営者を主要なターゲットとしているなら、「企業が潤えば、そこに勤める労働者も潤うようになる」と言う。これはこれで正しいが、こういう政党に一票を入れると、まず大企業が甘い汁を吸って、労働者にはその残りしか分配されなくなる。

政治とは、つまるところ、金の奪い合いだ。誰かが得をすれば、誰かが損をする。もし「あそこの政党はバカげた政策ばかりを実行する」と思ったなら、それはその政党がバカなのではなく、自分が損をするグループに入っているということであり、その影で得をしている人たちがいる。つまり、政党がバカなのではなく、自分がその政党にバカにされているということなのだ。

だから、選挙の際にはまず、その政治家がどういう人の味方をする人なのかということを見極めなくてはならない。そして、自分の味方になってくれる人を選ぶ。そうでない政治家は、「愚か」なのではなく、単に「敵」であるに過ぎない。


結局、政治家は、「彼らが何をしたがっているか」で選ぶべきだ。「何をしてくれるのか」と聞いてはいけないし、彼らがそれを約束しようとしたら、「俺らが聞きたいのはそんなことじゃねぇ」と拒否するべきだ。

そして、彼らが約束したことを何一つやらなかったとしても、文句を言ってはいけない。放っておけば、彼らは自分たちが一番したいと思っていることをやるはずなのだ。