テレビやネットと「世間」

様々な情報があるようで、実は同じ情報しかない世界

いつも思うのですが、朝、テレビをつけると、どこのチャンネルでも同じニュースを放送していて、残念な気持ちになります。チャンネルを変えていっても、まるで申し合わせたかのように同じ画面が出てくることすらあります。その結果、メリおっと!たいそうを「なんでこんなのを見てるんだろう」と不思議に思いながら見ることになってしまいます。

いつも単に「まったく日本のマスコミは」程度に思っていたのですが、ネットのニュース記事へのコメントで「こういうことを日本のマスコミは報道しないのが問題」みたいなことが書いてあるのを見て、少し考えが変わりました。もはや、みんなテレビを情報源として見てはいないんじゃないか。テレビの報道番組は、そこから情報を得るために見てるのではなく、「テレビが何をどのくらいの扱いで報道するか」を見るために見てるんじゃないか。そんな気がするのです。

極端なことを言えば、テレビの報道番組、特にワイドショー的なものは、各局が一斉に同じニュースを流すことで視聴者に「なんかとんでもない事が起きてるみたいだぞ」とワクワクさせるためにあるものであって、そのためにはどこのチャンネルも同じニュースを流さなくてはならないのだ、ということです。大事件が起こると、テレビ東京以外は同じニュースをやってるという画像がよくネットで出ますよね。

そうなると、もはやテレビの報道内容なんてどうでもよくなって、わざわざ取材なんてしなくてもスタジオでコメンテーターが好き勝手しゃべって時間をつぶしていればいいという話になります。結局どのニュースに何時間費やしたかが重要なだけなんですから。で、1週間が終わると、それぞれのニュースを各局が何時間放送したかがランキング形式でまとめられる、と。

そして視聴者の方も、「世間の動向」を知るためにテレビを見てるわけですから、各局が独自取材でいろんなことを放送しだすと困るわけです。チャンネルを変えても同じニュースをやってるからこそ「今世間はコレなんだな」とわかるわけですから。テレビの意義と言えば、今や「多くの人が同じ時間に同じものを見ている」ということしかないのであって、そこに多様性を求めるのは間違っているということではないかと。

いろんなことを知りたいなら、ネットを見ればいいんですよ。


しかし最近、ネットのニュースサイトを見てても、どこも同じ話題ばかりになってきているように感じます。テレビと違って、「お前のとこではなんでこの話題を取り上げないんだ」というお叱りはないと思うのですが。

しかし、ニュースサイトの目的が「面白い話題を届ける」ではなくて「面白い話題だけを届ける」になると、「なんでこんなつまらない話題が入ってるんだ」というお叱りを受けてしまうようになります。昔はネットの世界といえばゴミ漁り同然であって、たまに面白いものが見つかればラッキーといった程度の期待しかしていなかったのですが、今の人はニュースサイトを開くと面白い記事ばかりが並んでいることを期待します。こうなると、確実な話題以外を載せることができなくなってしまいます。

特に、個人サイトやブログのような個人のメディアに比べて、企業や大手の場合は、「客にウケる」ほうを重要視して、一貫性のある態度を取りにくいという問題があります。「皆がどう言うか不安ではあるけど、少なくとも俺は面白いと思ったから載せる」という態度をとりづらいという問題です。今では、見てる側からのフィードバックが過剰になっただけでなく、情報量が減っています。ゲストブックだと長々と書いてくれるけど、今やいいね!の数だけしかわからないわけですから。

見てる側からのフィードバックがゲストブックだった時代には、真剣に見てる人からしかフィードバックがなかったのに対して、今では手軽に誰でもフィードバックできるようになっています。すると、今までは無視できてた様々な人を相手にしなくてはならなくなります。そうなると、内容が「世間」に傾いてきてしまうことは避けられません。

結局、ニュースサイトも、手間をかけずに世間の話題をさらっと流し見したい人のためのもので、いろんなことを知りたいなら……どうしたらいいんでしょうね。今や、図書館にでも行った方がいいのかも。