エンブレム騒動の話

毅然とした態度をとらず、大衆を制御してやり過ごそうとする悪

一度モメた東京五輪・パラリンピックの新しいエンブレムが発表になりましたが、皆さんあれで納得いったのでしょうか。

4つの案を出しておいて、「国民みんなで議論を」と言いつつ、結局A案に決まるあのうさん臭さを感じた人も多いのではないかと思います。あの4つの案の中でA案だけ異質だというのは、みんな思うところですよね。どこが異質だったのかというと、単色で、幾何学図形、それも四角形を基調にしたデザインだという点です。

前回からの続きの話で言うと、4つの案の中でA案だけ知性的で、他の3案は反知性的です。念のため繰り返しますが、これはいいとか悪いという話ではありません。単純・直線・論理を好むか、複雑・曲線・自然を好むか、といった違いです。ただ、たぶん前者の方が専門家ウケするし、印刷とか加工とかその他実用的な面で様々なメリットもあるでしょう。そうやって総合的に考えると、やっぱりA案という結論が出るのもわかります。

しかし、ボツになったエンブレム案も、知性的なデザインでした(念のため繰り返しますが、作者に知性があると言っているわけではありません)。つまりは、ボツになったエンブレム案と同じ路線で選んでるわけです。あれが(主にネットの)大衆に受け入れられなかったらこんな騒ぎになったというのに、あれの二の舞になるのではないかと、ちょっと心配です。


私は、今回の4つの案から1つを選ぶという進め方は、相当ひどいやり方だったと思います。案の出し方もひどいし、その中から自分たちで1つを選ぶというのもひどい。あれじゃ、何のためにわざわざ4つの案を出したのか。まったく意味がありません。選択肢を提示はするが、選択肢自体に偏りがあるというのは、ミスリードのテクニックの一つです。

これは、本当に国民の投票で決めるか、それとも委員会で勝手に決めるか、どちらかにすべきでした。そもそも前のエンブレムをボツにすべきではなかったし、前のエンブレムをボツにしてしまったのであれば、今回は投票で決めるべきでした。候補も絞らず、応募すべての中から完全ネット投票にして、どうせ愚かなネット民が下らないネタを1位に押し上げるだろうけどそれにも動じず、しょーもないネタエンブレムを「厳正なるネット投票の結果これに決まりました!文句を言うならネット民に言え!」と発表して、前のエンブレムをボツにさせたネット民に報復したらよかったのに。(名古屋人はオリンピックに対してはドス黒い怨念しか持ってないので、東京のオリンピックがどうなろうと知ったこっちゃないのだ)


しかし、そもそもなんでエンブレムなんかが騒動になるのでしょう。正直言って、そんなの適当なマークつけとけばいいでしょうに。相当な金をかけて決めて、さらに相当な金をかけて決め直す必要なんてなかったと思うんですけどね。

一般人にとって五輪のエンブレムなんてまさにどうでもいい事柄で、公平性も透明性も別になくたっていいと思うんですよ。変に大金がかかってると問題があるなら、低予算にして金儲けにならないようにすればいい。デザインする方が「後世まで記憶に残る素晴らしいデザインを」と意気込むのはいいけれど、どれだけ意気込んでも、どうせオリンピックが終わればみんな忘れちゃいます。だいたい、自治体が毎日のように大量のマークとかキャラクターを作ってますけど、どれもこれも公平性も透明性もないでしょうに。

下らないことで騒ぐだけなら楽しくていいかもしれないけど、そのせいで相当のお金が宙に消えたわけで、もったいない話です。


私は「騒ぐな」と言っているのではありません。「騒がれたくらいで動じるな」と言いたいのです。専門家が集まって決めたのであれば、素人が何を言っても「やっぱり素人はわかってないな」とだけ言ってればいいんです。そして、専門家と素人のギャップを埋めるべくマスコミがきちんと「専門家はこういうことまで考えるからこういう結論になるんですよ」と取材して説明すべきなんです。だけど、日本のマスコミは素人と一緒になって騒いでるだけだから、こういうことになってしまうのです。

知性の側がきちんと「説明」で戦おうとせず、「雰囲気」に押し流されてしまう。そうなるとなんとかして「雰囲気」を制御しようと考えてしまう。この「害にならないように(あるいは得するように)なんとか『雰囲気』を制御しよう」という風潮が、なんだか嫌だなぁと思うのです。