甘利大臣の会見の話

自分が正しいのならそう主張しなくてはならない

久し振りにひどい会見を見たので、あちこちで出ててもう飽き飽きかもしれませんが、あの会見の話をします。

何がひどいって、辞任をする理由がひどい。そして、それを称賛する人もひどい。それが典型的に日本的な内容だから問題に思います。


甘利大臣本人が、辞任する理由が何だと言っているのか、まとめてみましょう。

  • 私は悪くない。私自身恥じることはしていない。
  • 秘書が悪い。
  • こんな報道がされると国会審議に影響が出る。
  • けど、美学に反するから秘書のせいと責任転嫁はできない。
  • 辞任しないと法案成立が遅れるから辞任する。

つまり、本来辞任するような事は何もやっていないけれど、報道によって国会審議が遅れるから辞任する、と言っているわけです。この構図は、冤罪が生まれる仕組みそのままです。自分は悪くないのに、「どうせ微罪なんだし、自分が悪かったと言いさえすればすぐ帰れるんだよ」と言われて、悪かったと言ってしまう。

悪くないなら、ちゃんと辞任する必要はないと主張しなくてはなりません。その結果どうなろうと、それは正しい主張をしている人のせいではなく、正しい主張を聞き入れない周囲のせいです。そして、そういう主張をしないのなら、いくら美学というような言葉でごまかそうとも、周囲は「やっぱり辞任に値するようなことをしたんだな」と解釈しなくてはなりません。

日本人は、正しさより事なかれを取りがちなところがあるようです。主張によって社会に何らかの悪影響があるのを嫌がり、たとえ正しい主張であっても取り下げさせようとします。正しい主張であればそれを全面的にサポートして、それによって起きる悪影響はできるだけ取り除いてやる、という気概に欠けるように思います。

別のところで、「これは自分にとって耐え難い事態」とも語っていました。結局、辞任することで耐え難い事態から逃げたわけです。情けない話です。


国会などで、よく「説明責任を果たせ」という発言が聞かれます。これはおかしなことです。そんなことを言われなくても、濡れ衣を着せられたのなら当然、説明したいと思うはずですから。突然言われたのでは気が動転するでしょうから、思考と事実関係を整理するのを待った上で、相手がしたいと思っている説明をきちんと聞く。これができるのであれば、説明をわざわざ要求する事態になどならないはずです。

なぜ説明が行われないかというと、説明しても聞かない人と、説明しないほうが潔くてかっこいいと思っちゃう人ばかりだからです。質疑応答を見ても、ちゃんと話の内容についてツッコめている人は少数派で、前々から考えていたであろう話とは関係のない質問をしている人ばかりでした。説明しても無駄だから、説明がされなくなってしまうのです。

言論でメシを食っている政治家が、言論を軽視する。こんな情けない政治家ばかりだから、こんな政治になってしまうのでしょう。


あと一つ気になったのは、本人は「忸怩たる思い」(自分の行いに深く恥じ入っている)と言っているのに、何だかあまり反省している雰囲気がないところです。もしかして、言葉の意味をわかってなかったりして。