ルールと日本人

ルールがルールでない社会

昔、ヨーロッパに旅行に行ったとき、電車の切符の扱い方の違いを感じたことがありました。

1日乗車券を使ったのですが、街角の雑貨屋みたいなところで券を買って、自分で今日の日付に印をして、あとは持っているだけ。路面電車だったので、好きなところで乗って好きなところで降りればよく、誰もチェックしたりしませんでした。ほんとにこんなんでいいんかな、とちょっと心配になったりもしました。

たまに検札があって、そこで万が一違反していたりするとどんな言い訳も通用せずに高い違反金を取られるらしいのですが、それが抑止力になっている(事情はよく知りませんが、抑止されているんだと思います)のが、面白いと思うのです。

同じシステムを日本で導入したらどうなるでしょう?やはり日本ではキセルが横行してうまく行かないでしょうか。そんなに日本人はモラルがないとは思いたくはありません。しかし、もし日本でもうまく行くというのであれば、各駅にあれだけ並べている自動改札機など無駄金だということになります。


なぜ、日本ではあれだけのコストをかけて、人々が違反をしていないかどうかを逐一チェックしているのか。「そうしないと皆違反するから」ではなくて、「そうすることによってこのルールを守らなくてはならないものという認識にさせている」のだと思うのです。言い換えると、もし改札がザルで、違反者を見つける努力をあまりしていなかったとしたら、日本人は「ああ、切符は買わなくていいんだ」と思ってしまうのではないか、ということです。

日本人は、ルールをただ決めただけではダメで、「皆がこれを守らなくてはならないと思っている」という認識を共有できないと、ルールを守ろうとしません。だから、取り締まられないルールは、守らなくていいと思ってしまうようです。古くは飲酒運転、最近では自転車の交通ルールがいい例です。ルール自体はずっと前からそのままなのに、罰則が厳しくなったら、とたんに新しいルールができたかのように騒ぎ出します。


たまに、「何が悪いっていうんだ。ちゃんとルールは守ってるだろう」と言う人もいます。「ルールを守る」という、まともな人なら誰でも当然することをやっているというだけで、とても偉そうな態度になるのが不思議です。

本当は、ルールというのは人間として守らなくてはならない最低限のことだけを決め、それ以上のことはマナーとか話し合いとかで解決するべきなのですが、日本ではルールは「守れるのは聖人君子」であって、時には守らなくていいという認識になってしまっています。そのため、ルールは増やそうとはしても、減らそうとはしません。時代に合わないルールは、なくすのではなく、残しておくけど守らないという方向で解決してしまいます。

日本では、ルールを何が何でも形式的に守らせようとすることに対しては批判的で、時と場合に応じてはルールを破るし、時代に合わないルールに対して警察は見て見ぬふりをします。本当は、こんな恣意的な権力の行使は危険なのですが、あまりそれに対して危機感を持とうとしません。


最近では、同質な人たちだけが集まった小さな社会が孤立化し、その中で勝手に「このルールは守らなくていい」と決めるせいで、本当は守られなくてはならないルールが守られないことが問題になってきています。

まず、本当に守らなくてはならないルール以外はなくし、そして残ったルールは誰も見てなくてもちゃんと守り、さらに「ルール違反」以外の言葉でちゃんと人を批判できるようにする。そうしないと、この国はルールに押しつぶされてしまうように思います。