複数の立場に立って物事を考える

一つの立場に固執する人たち

前に書いた話で思い出したのですが、日本人の「どっちに転んでも困らないようにする」が苦手な特質が明確に出ているものに、保険に対する考え方があります。

本来、保険に入るかどうかというのは、「保険に入って問題が起きたときの得」と「保険に入って問題が起きなかったときの損」を合計して考えるものです。しかし日本では、この両方を合わせて考えるという考え方があまり浸透していなくて、「問題が起きると思うなら入った方が得」「問題が起きないと思うなら入らない方が得」という話になってしまいます。

株も同じような傾向にありますね。「上がると思えば買い」「下がると思えば売り」と言われてしまいます。そういえば、原子力発電所の場合も「事故は起きる」「起きない」で対立していましたね。「どっちの場合も想定する」という考え方が抜けています。

こういうとき、「わからない」と答えると、「ちゃんと自分の意見を持たなくてはならない」みたいなことを言う人さえいます。当てずっぽうでも何でもいいから態度を決めることを「意見を持つ」ことだと勘違いしているようです。


どうも、「複数の立場に立って物事を考える」ということが苦手な人がいるようです。考えないのではなく、考えられないようなのです。「Aという前提の元ではXだが、Bという前提だとXではなくYである」というような話が苦手なように見えます。

そういう人は、他人もそういうものだと思っていて、同じ人が時には対立する立場に立ったり、対立するいろんなことを考えるということを想定できないようです。よくネットで見かける、「相手がネット以外のところでもいろいろやっているということを想定できない」「ある人が書いたブログ記事に対して、そこに書いてある内容以外のことはやっていないと勝手に想定する」というのも、「そこに見えている立場」以外のものがあるということを考えられないということなのかもしれません。


「反対意見を想定して話を進める」というのは、考える上ではとても大切なことですが、これをしようとしない人もいます。反対意見は想定するだけでもけがらわしい、と思っているようです。そういう人は、たとえば「これから株が上がると思う」という意見であれば、株が上がる要因を列挙します。これでは意味がありません。本当は、株が下がる要因があるかどうかを調べた上で、「どうやら株が下がるということはなさそうだ」というスジで考えないといけません。

こういうことは、「これから株が下がると思っている人が、株が下がる要因ばかりを列挙していたら、株が上がると思っている人はどういう印象を受けるか」を考えればわかると思うのですが、そういう一人二役ができないところが困ったもんだなぁと思うのです。