ボードゲームと運

運の要素がないゲームが好きな人と、運の要素があるゲームが好きな人がいるという話

この連休はボードゲーム三昧でした。というわけでボードゲームの話題で書きます。


ボードゲームには、将棋みたいに運の要素がないゲームと、ダイスゲームみたいに運の要素が大きいゲームとがあります。私は昔はどっちかというと運の要素のないゲームが好きでしたが、だんだんそうでもなくなってきました。知力が衰えてきたということもあると思いますが、ゲームの楽しさについての考え方が変わってきたというのもあるように思います。

運の要素について好みが相反するということはつまり、両者の楽しみ方が異なるということです。運の要素がないゲームが好きな人が「これこそがゲームの楽しみ」と思っているものと、運の要素があるゲームが好きな人が思っている「ゲームの楽しみ」が違うということです。そうなると、どう違うんだろうかと気になるのです。


なぜ運の要素がないゲームの方が好きなのかというと、やはりそっちの方が自分の力で勝った気がするからでしょう。そしてもう一つは、読みの要素が出るということだと思います。運の要素があるゲームでは、いくら先を読もうとしても、不確実性の闇の先は見通せません。将棋だとプロなら数十手先まで読めるというのも、将棋だと「ああすればこうなる」が確実だからであって、「駒を取られてもサイコロを振って1が出れば取り戻せる」みたいなルールがもしあったとすれば、とても数十手先まで読んでいられないと思うのです。

しかし、考え方を変えると、運の要素があるゲームの方が、読みが複雑だから面白いとも言えます。(自分も昔はこんな感じだったかもしれませんが)どうせ運でひっくり返されてしまうんだから読むのは無駄だ、みたいな考えになってしまうと、なんだか幼稚な感じがするのです。

自分に関して言えば、昔より勝ち負けへのこだわりが減ったように思います。「負けたのが悔しい」ではなく、「あそこでああいう判断をしてしまったのが悔しい」と思えるようになって、精一杯頑張って負けたのならまあそれはそれで仕方ないと割り切れるようになった気がします。勝ち負けのこだわりというのはいわゆる「若さ」なのかもしれませんが。


年を取ったからなのか、いろんなゲームを遊んだからなのか、だんだん楽しめるゲームの間口が広がってきたように思います。早々にクソゲー認定して激おこぷんぷん状態で二度とやらないと言うのではなく、クソゲーはクソゲーなりに「ああクソゲーだったね」と笑って済ますことができるようになってきました。

といっても実際は、この連休で遊んだとあるゲームで「大人げない人」認定をされてしまったのですけど。でも個人的には、ゲームで「大人げない」と言われるのは一種の勲章だと思ってます。